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筆者のプロフィール

筆者のプロフィール(杉浦 敬次)

大正12年(1923)3月
長野県小県郡長和町和田に生まれる。旧姓羽田。
故郷は中山道沿いの山紫水明の山村。小学校時代の私はクラスで1番小さい方から2番目のひ弱な子だった。2007年10月町村合併で和田村の名前が消える。「故郷の村の名消えて秋深し」

昭和19年(1944)9月
東京第三師範学校卒業(戦時短縮)

昭和19年(1944)9月
世田谷区経堂国民学校勤務

昭和19年(1944)11月
東部50部隊入隊、甲種幹部候補生として兵役10ヶ月、敗戦復員。
戦後勤務の余暇に通信教育で日本史を勉強し直す。 以降、1983年まで世田谷区立経堂国民学校・港区立白金小学校・世田谷区立桜ヶ丘中学校・港区立三光地小学校・世田谷区立山崎小学校・調布市立野川小学校・調布市立石原小学校(教頭)・八王子市立鹿島小学校(校長)・世田谷区立中丸小学校(校長)以上9校勤務

昭和58年(1983)定年退職

昭和58年(1983)
千葉県鴨川市江見の海岸を終の棲家と決め、妻と2人で移住、以後20年間晴耕雨読とボランティア活動の日々を過ごす。
この間に紀州か移民の東国旅網に興味を持ち、暇を見つけては、各地の視察見学や、図書館通いを続ける。

平成5年(1993)10月
妻が不慮の事故で腰椎を圧迫骨折、以後10年半亀田病院に通い、療養に努めたが、腰の慢性痛が治らず、修正療養の便を考えて、一旦は終の棲家と決めた江見との別れを決意する。

平成16年(2004)
東京都調布市仙川に転居。

平成17年(2005)
調布市小松町に転居。
以後「読んで納得おもしろ海民史」のまとめをはじめる。

平成19年(2007)5月
やっと本になる。これで歴史に興味を持つ元教師としての最後の仕事が終わった。
今後は趣味の油絵と写真、それにこのごろ倣い始めた俳句に親しんで、のんびり生きたい。 暮らしのモットーは「生来の好奇心を失わず、頭と体を使って楽しく暮らすこと。」

   
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