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第三章 九十九里浜で始まった地引き網漁業

3−6:旅網で人口が減った紀州沿岸

旅網で九十九里浜へ来た紀州人の数はどのくらいだったのか、知りたいところですが、残念なことに資料が見当たりません。

 大阪に近い紀州加太に伝わる「みよはなし余談」という資料には、元和(一六一五〜一六二三)の頃から関東へ旅網する人が増えて、村は
人が少なくなった、と書かれています。

彼ら紀州海民は海の総合職ですから、漁師だけではなく、村内の商人ゃ廻船持ち干しか商人などが一段となって下り、生活物資の供給のほかに、出御先の住民に売る商品も運びました。

更にもうひとつ生産した干しか、シメカス、魚油の大阪積み出しにも大いに活躍しました。このことは、後でまた詳しく書きます。
   
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