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第一章 夜明け前の東国

1−2:十六世紀の関西は漁業先進地だった

 関西は古代から日本の政治文化の中心地で、一番開けた先進地でした。

 中でも京都は、千年の古都で、当時も室町幕府が置かれた日本の首都であり、政治経済の中心地で、人口も多く、奈良時代から貨幣も使われたように、早くから大商業都市でもありました。 

 特に堺は、大阪湾に面した海運業の根拠地で、西日本の物産の集散地として、商業も大変盛んな町でした。

 大阪は、同じように海運業の根拠地(コンキョチ)として、瀬戸内海から京都へ運ばれる生活用品の中継基地でした。ことに、豊臣秀吉が大阪城を築いてから後は、「天下の台所」と言われる日本一の大商業都市に発展しました。 

 一四六八年に日本ではじめて京都で魚市場ができ、一五八四年には、大阪の天満町(てんまちょう)にも魚市場ができたといわれます。

 当時はまだ、生魚を鮮度の良いままに運搬する手段がありませんでした。ですから、魚といえば大部分は塩物か干物でした。 それでも魚の需要は多く、太平 洋、瀬戸内沿岸では、紀州(和歌山)、和泉(いずみ)、摂津(せっつ)(大阪)、兵庫などが、日本海沿岸では丹後、若狭〈京都〉などの各地が、漁業の先進 地として開けました。

 これらの地方ではこのころすでに、まかせ網など、十数人の共同作
業の必要な網によるイワシ漁業が行われていたそうです。

 このころなぜイワシをたくさん捕る漁業が現れたのでしょう。
   
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