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第二章 関東の漁業の夜明け

2−2:関西海民の本格的な旅網開始

 関西漁民による関東旅網の本格的開始の時期は、早く見ても小田原の北條氏が秀吉軍に滅ぼされ、徳川家康が秀吉から関東の地を拝領し、江戸に入城した天正十八年(一五九0)以後のことでしょう。これ以降関東各地は戦乱がやみ、安定期を迎えたと思われます。

旅網をするには、出稼ぎ先の社会が平和で、秩序が保たれ、社会的経済的な約束が守られることが絶対必要です。

後にも述べますが、旅網は地網に比べて弱く不安定な立場ですから、出稼ぎ先の人々が悪さを企めば、大事な漁具や漁獲物を盗られたり、納屋や干し場所を貸してもらえなくなる事も十分考えられました。

 家康が一六〇〇年(慶長五年)に関が原の戦いで勝ち、一六〇三年(慶長八年)江戸に幕府(武士による政府)を開くと、たちまち関東の政治、社会は安定し、小さな部落でしかなかった江戸は、十年足らずで人口十五万の都市となりました。

 こうして関東沿岸の各地の、旅網の条件がすべて整ったこの頃から、一章で紹介した慶長見聞録等で、関東漁場の豊かさを伝え聞いた関西漁民たちは、いっせいに関東へ旅網するようになったものと考えられます。
   
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