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第三章 九十九里浜で始まった地引き網漁業

3−1:関東への旅

 四国九州まで旅網しても鰯資源が枯渇して、増大する干鰯の需要に追いつけなかった紀州漁船団が、政治的にも社会的にも安定期に入った鰯の宝庫を見逃すはずは有りません。

 彼らは、五大力船と呼ばれる一五石から二〇石の物資運搬用の船に魚網、漁具、寝具や炊事道具、衣類から当面の食料までを積み、一隻あたり網元以下十六人ほどが乗り込んで船出しました。

 本格的旅網の第一陣は小型地引網漁の漁師たちで、先に西宮九助が漂着したとされる好漁場十九里浜を目指しました。

 当時の鰯漁の漁期は,秋から春までと言う説と、反対に、秋から春までという異なった二つの説がありますが,私は秋から始まって翌年五月までと言うのが正しいと思います。この他に夏は真鰯漁で、冬は片口鰯漁と、漁期が違うという説もあります。

 秋九月、旅網船団は紀州の港を出手関東を目指します。船団は船が小さいため、直接沖合いに出て黒潮本流に乗って九十九里を目指すことは出来ません。沿岸 沿いに潮の岬を迂回(うかい)して志摩に着き、伊勢湾を横断して三河へ、さらに遠州灘(えんしゅうなだ)沿いに進んで駿河湾(するがわん)を越え、西伊豆 の小浦に入って風待ち。難所の石廊崎を回ると相模の浦賀へ寄り、浦賀から房総に渡り、外房を北上して九十九里浦に至る、という船旅でした。この間には時化 (しけ)待ちや、順風待ちで航海できない日も多く、長く苦しい旅だったと思われます。  
   
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