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第四章 八手網(ハチダアミ)を携えて房総各地に来た紀州海民

4−2:八手網漁とは

  八手網(ハチダアミ)は 麻(アサ)糸で編んだ網で、、四辺の長さは多少違いますが、小さいものでも一辺の長さが六十メートル以上の、巨大な網で出来た風呂敷のような網です。四辺 の縁には丈夫な綱(ツナ)が取り付けられています。その綱の諸所に 何本もの引き綱がついています。網(アミ)の三方はイワシを驚かせて中心部に逃がす役割を持った目の粗い網(へ)です、最後にイワシを集めて取り込む「う おとり」と呼ばれる部分(イ)は、魚が洩(モ)れないような細かい網目になっています。

この漁は九丁櫓(キュウチョウロ)(漕ぎ手が九人の船)の網船二艘(ソウ)と、七丁櫓の口船(クチブネ)という魚を取り込む指揮船の三艘に漁民約四十人が分乗して行われました。

 イワシの群れを求めて三艘が並んで走り、群れを発見すると口船は中綱(ナカヅナ)を伸ばしながら潮に向かって進みます。

 口船の大船頭は二艘の網舟に 「寄れ-エ」と合図して 二艘の網船を接舷(セツゲン)(船と船が並んでくっつくこと)させ、一方の船に積んであった網の半分を、もう一方の船に移します。移し終わると二艘は左右 に漕ぎ別れて潮流を受ける方向に網を下ろして潮流に乗って泳いでくるイワシの群れを待ちます。

 三艘はほぼ百メートルほどの間隔で三角形状に停船して錨を下ろします。

 魚を取り込む口船側の網の縁辺には浮子(ウキ)が、二艘の網舟の側の網の縁辺には錘(オモリ)がそれぞれ等間隔についています。二艘の網舟が網を下ろし終わると、網は海中にちょうど帆を張ったようになります。

 大船頭はイワシの泳ぐ方向に注意しながら引き綱を引かせ、群れが網の中央に入った頃を見定めて一気にすべての網を引かせます。

 更に網を絞(シボ)って、イワシを口船の脇に集めて、大きな「たも網」で船に掬(スク)いいれます。 八手網漁は地引網のように海底を引く漁ではなく、 海の中層から海面近くに網を敷いて捕る敷き網ですから、遠浅の砂浜の海でなくとも、岸からはるか離れた深い海でも、イワシさえいれば場所を選ばない便利な 網漁です。

八手網を携えた紀州海民たちの出身地は和歌山沿岸の加太、大浦、塩津、下津、栖原、湯浅、広川、和田、小浦、阿尾、御坊、印南、切目、田辺 それに大阪の西宮、尼崎、佃、佐野、嘉祥寺、堺、大津、岡田、尾崎など、和歌山から大阪の海岸全部といってもいいほどでした。

彼らの出漁先は、房総沿岸の北から銚子、大原、小浜、岩和田、御宿、勝浦、川津、鵜原、興津、天津、鴨川、江見、和田、千倉、白浜、さらに内房の館山、富浦、荻生 、富津、木更津、奈良輪、、堀の内、浦郷 などでした。

 これらの各地でも、彼等は九十九里浜と同様に、故郷が同じ者同士が同じ浦に 浦借りをして助け合い、九月から翌年の五月まで旅網をしました。その中の数箇所について、古記録に基づいて彼らの活躍の様子をたどってみましょう。
   
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