Topページへ戻ります
TOP >> 四章 >> 4−5:新浦築港工事

第四章 八手網(ハチダアミ)を携えて房総各地に来た紀州海民

4−5:新浦築港工事

 紀州からの移住者が多くなったため、必要な人夫も集めやすくなり、一期工事より早く完成することが出来た。人災を防ぐための現場への見回りは治郎右衛門も欠かさず行い、伊兵衛も安全第一を心がけたが、それでも二人の犠牲者が出た。

 工事に多額の金がかかる事や、工事の困難なことは、それほど気になることではない。金は以前からそのために旅網して十分蓄えてある。施工の困難も、伊兵衛と二人で乗り越えてきた。毎日御仏に祈り、了意にも祈ってもらった。

 しかし、信心深い治郎右衛門の心には尚、今までに失った六人の命が重くのしかかって離れないのだ。


それでも工事を止めるわけにはいかない。
 第一期、第二期の築港工事は前後六年間の苦闘の末に、寛文元年(一六六一年)ようやく完成にこぎつけることが出来たのである。

寛文二年(一六六二年)崎山治郎右衛門は、外川築港工事の犠牲者六人を西方寺に祭り、本国紀州から六地蔵像を取り寄せて西方寺に安置した。
   
inserted by FC2 system