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第八章 鰹節と醤油の製法を伝えた紀州海民

8−1:鰹節の歴史

 日本の政治文化の中心地だった京都や、商業の中心地大阪では、お料理の面でも一番進んでいました。
 十七世紀にはもう今日の日本料理のように食材の味を生かした、繊細で上品な料理が作られていました。
 その味付けには、北前舟で北海道から運ばれた昆布と、カタクチイワシを乾燥させた煮干しや、鰹を乾燥させて作った鰹節が使われていました。 
 鰹は鮮度の良いものを刺身やたたきにすると大変美味しい魚です。江戸時代の中後期の江戸では、五月から七月頃の生きの良い鰹を、いわゆる「初鰹」と珍重して大商人達は競ってこれを買い求めました。
しかし、その鰹の最大の欠点は「鰹の生き腐れ」と言われるほど鮮度の落ちやすい事です。その為に、昔から保存方法がいろいろと工夫されてきました。
その一つは、頭とはらわたを切り取り、三枚に下ろして、骨を取り、皮をはいで背と腹を縦に切り分けて四枚のさくにした鰹を、日に干して乾燥させる「素干し」です。
 この方法は干しあがるまでに日数がかかり、天気が悪い日が続くとと腐りやすいのが欠点でした。
 そこで、日に干す前に切った鰹を釜で煮てから日に干す方法が生まれました。この方法は乾燥日数が短縮されて、腐りにくくなりました。
これらの方法は大昔から行われていたようで、大宝令(一二〇〇年ぐらい前の法令)にも調(各地の特産物を納める税の一種)として「素干し堅魚」と」「煮堅魚」を納入させた記録が残っているそうです。
 工夫のその三は鰹を開いて骨を取り除き、背と腹の四片にしたものを、煮るのではなく、蒸し籠に並べた鰹を何段も大釜の上に重ねて、火をたいて湯を沸か し、湯気で蒸します。蒸し上がった鰹を一番下の蒸し籠からだんだんにだし取り出して、清水で洗い、冷やして小骨を取り除きます。これを乾燥用の竹籠に並べ て約三〇日ほど乾燥させます。乾燥させるのは天日で、雨の日だけ藁を燃やして乾燥させました。
 こうして作られた製品は、戦国時代の武士の携帯食料として好まれましたが、現在のなまり節のようなものでした。
   
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