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第八章 鰹節と醤油の製法を伝えた紀州海民

8−4:醤油の歴史

漁業史との直接の関係はありませんが、網漁業と同じく紀州海民のもたらした産業に醤油があります。

千葉県は全国一位の醤油生産県です。
野田市のキッコウマン醤油が日本一,次いで二位三位が銚子市のヤマサ醤油とヒゲタ醤油です。
キッコウマンやヤマサは国内だけでなく、外国にもたくさん輸出し、アメリカやヨーロッパにも工場を持っています。
この醤油の製法も、江戸時代の初期に紀州から伝えられました。

 そのことを書く前に、ここで醤油の歴史を少しご紹介しましょう。

醤油の醤というのはひしおと言われ、ルーツは中国の醤 だと言われています。醤には山菜・野菜などを塩漬けにして発酵させた漬け物などのような草(くさびしお)と、魚を塩漬けした塩からなどの魚醤(うおびしお)と、まめ、むぎ、こめなどの穀物 を塩漬けにした味噌、醤油などの穀醤(コクビジオ)があります。

これらは稲作と共に東アジア各地に伝わり、塩漬けした食物だけでなく、漬けた時にできた汁も調味料として古くから使われていました。
 この醤(ひしお)と言う調味料は弥生時代(紀元前後)に日本に伝わった、と言われます。 醤油の元になるものができたのは鎌倉時代だと言われています。

紀州由良の興国寺の僧覚心が、中国に留学中に覚えた径山寺(きんざんじ)味噌(金山寺)の製法を湯浅村の村人に教えていました。その時、仕込みを間違えて 偶然出来上がったものを舐めてみたら、大変美味しかったので、それ以後径山寺味噌のほかに新たに造るようになったのが「溜(たま)まり醤油」だそうです。

醤油の原料や製法は一般には余り知られていませんので次にご紹介しましょう。


溜まり醤油の作り方
原料の大豆を洗って、水に浸してよく水を吸収させ、釜で柔らかくなるまで蒸します。
蒸して柔らかくなった大豆を冷まして細かに砕き、それを小さな固まりに分けます。その上から麹菌(カビの一種)をふりかけます。
夫れを気温三二〜三三度に保たれた部屋に移して三〜四日置きます。

するとその間に、大豆の表面は増殖した麹菌の菌糸で黄色く覆われます。

この時大豆の内部では酵素の働きで、大豆のタンパク質がアミノ酸に変わります。

澱粉はグルコースに分解されます。

ここまでの製造過程は味噌と同じです。

続いて仕込みに入ります。

麹菌がいっぱい増殖した大豆の固まりを、大きな桶に入れて、原料大豆の半分ぐらいの量の食塩水を入れます。

時々かき混ぜながら長い間熟成させると酵素の働きが進み、麹菌に代わってできた乳酸菌の働きで乳酸発酵が進み、諸味と言ううまみと香りのよい醤油の元ができます。

これを布で濾して絞って容器にたまった汁に熱を通して殺菌して醤油の出来上がりです。こうして造る醤油は大変手間がかかり、醸造期間も三年もかかる高級品でした。

この溜まり醤油は愛知岐阜両県が主産地です。

関東では野田も銚子も材料が大豆だけでなく、大豆と小麦を一対一の割合で使います。大豆を蒸すのは同じですが、これに煎った小麦を混ぜて醸造したものが関 東で好まれる「濃い口醤油」です。これだと醸造期間が一年半と、溜まりの半分で出来ます。濃い口醤油より色や風味を薄くしたのが「薄口醤油」ですが、塩分 は濃い口よりも多いそうです。これは関西で好まれています。
   
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