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第八章 鰹節と醤油の製法を伝えた紀州海民

8−6:偉人七代目浜口儀兵衛と「稲むらの火」

特に創業から二〇〇年後の一八五三年(嘉永六年)に家業を継いだ七代目浜口儀兵衛(梧陵)は、醤油醸造業を立派に経営しただけでなく、私財を惜しげもなく投げ出して、教育や社会福祉に尽くしました。

七代目義兵衛にまつわる「稲むらの火」というのは有名な話です。

 一八五四年(安政元年)一一月四日、に発生した安政大地震の時、丁度故郷の紀州広村に帰っていた七代目儀兵衛は、海水のひき方や、井戸水が急に無くなる などの異変から大津波の来ることにいち早く気づき、村民を避難させるために、自分の田んぼに積み上げてあった籾のついた稲の束に火を付けて急を知らせ、村 民を助けました。

自分自身の危険や財産を犠牲にしても、人々を助けようとした行為に感動した、明治の文豪ラフカジオハーン(小泉八雲)は、「仏陀(ぶつだ)の国の落穂ひろい」という短編集の中に[A living god ](生き神様)という題で彼の行いを紹介しています。

後にこの話を元にして小学校教師中井常蔵氏が書いた物語「稲むらの火」は、小学校の国語の教科書に載せられました。
   
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