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第九章 今に残る紀州海民の足跡

9−1:方言と、その伝わり方

江戸時代初期から多くの紀州海民が色々な網を携えて東国に旅網し、水産業や食品工業を伝え、それらの内少なからぬ人数が定住したのですから、今も彼らの足跡は残っているに違いない。

紀州海民の足跡は千葉県の方言の中にも残っているのではなかろうか?

そんな好奇心から紀州方言と房総方言とを比べてみました。

ここでちょっと回り道になりますが、方言とは何か、どうして出来たのか、言葉の伝わり方などについて、 簡単に触れておきましょう。

私たちは日本語を話していますが皆同じではありません。気の置けない仲間内で話す言葉と、他所の地域の人と話したり大勢の前で話す言葉とを使い分けていま す。仲間内で話す言葉を方言と言い、改まったときの言葉を共通語ないし標準語と言います。方言は地方地域によって発音、アクセント、語彙が異なります。

ごく近代まで、国の方針で方言で話すのをやめて、共通語で話すようにし向けられたことがありました。特に沖縄ではそれがひどかったようです。

そのため、方言は悪い言葉、方言で話すのは恥ずかしいことと言う考えが広まりました。しかし、方言は人間が生まれてから言葉を身につける時期に、最初に身 につけた母語で、最も自然に、流ちょうに話すことが出来る言葉で、大切にすべき文化遺産だと思います。ただし時と、所と、相手によって、方言と共通語を使 い分けることが大事だと思います。

前書きが長くなりますがもう一つ、方言の誕生についての、興味深い説をご紹介しましょう。民俗学者柳田国男氏が一九三〇年に「蝸牛考」と言う論文を発表しました。

 それによると、彼は(カタツムリのことを方言でなんと言っているか)を全国的に調べました。その結果、@ナメクジ系、Aツブリ系、Bカタツムリ系、Cマイマイ系、Dデンデンムシ系の五種類に分類し、分布図を作って考察しました。    

東北北部と九州西部ではナメクジ、東北と九州の一部でツブリ、関東や四国でカタツムリ、中部や中国でマイマイ、そして近畿ではデンデンムシと言うように、近畿を中心に、だんだんに同心円的に分布していることを発見しました。         

これは文化の中心だった近畿で、同じ意味の新語が次々に出来ると、それまで使われていた言葉は、近畿から押し出されるように、周辺に追いやられた結果生じたもので、近畿から遠い地方で使われている言葉ほど、古い言葉であろうと推定したのです。これを方言周圏論と言います。

周圏論が全ての方言に適用できるわけではありませんが、中央から遠く離れた地方や交通不便な山の中などには古語から変わった方言が多く残っています。

方言は通常紙の上に水で溶いた絵の具を落としたように、じわじわと周辺地区に伝わっていくと言われますが、交通が不便な自然条件の所では伝播が停滞して回りの地域と違う方言が残ります。

 しかし、方言はいつも地を這うように伝えられる訳ではなく、隣の地方を飛び越して、飛び火のように伝えられることがあります。

 江戸時代に 幕府の命令で行われた大名の転封もそうでした。転封は大名だけの引っ越しではなく、家来の武士全部の引っ越しですから、新しい支配階級の使う言葉が一緒に引っ越したのです。 
   
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