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第九章 今に残る紀州海民の足跡

9−2:方言を伝えた紀州海民

つぎはいよいよ本題に入りましょう。                    

徳川宗賢・W・Aグロータース編「方言地理学図集」によると、紀州も房総も共通に洗濯をセンダクと濁って発音し、唐辛子をトウガラシ、またはトンガラシ と、襖をフスマと、瀬戸物をセトモノと、塩辛いをカライ、またはショカライと、薬指をベニサシイビまたはベニツケユビと言います。

方言は文化の中心地から周辺地に伝わります。江戸時代に先進的な網漁業の技術を始め、高級鰹節製造技術や醤油の醸造技術を携えてきて、惜しげもなく教える紀州海民は、房州の人々にとって尊敬と憧れの的だったに違いありません。

房州の人々は進んで紀州方言を学び、それによって進んだ技術を取り入れたものと考えられます。つまり前記の方言は紀州海民が船で直移入したもので、紀州海民が活躍した確かな足跡と言えると思います。       
この他にも、和歌山、千葉両県に残る同じ方言は、私のずさんな調査でもそれぞれの県の海沿い地方だけでも、次の表のように約一八〇語ありました。

私は方言研究者ではありませんので、発音やアクセントは省略して、語彙だけを取り上げて見ました。 

もちろん、これらの語彙の全てが紀州から房総に直移入されたもの、とは即断できません。 しかし、言葉は文化を伝えるのに欠くことの出来ない手段ですから、伝えられる側の関東の人々は拒否することなく、むしろ進んで吸収したものと考えられます。

ここで考えさせられるのは、方言が急速に失われつつある現実です。
 は伝わる速さも遅かった代わりに、失われるのにも歳月がかかりました。

しかし、現在はテレビや携帯電話等で大雨の降るように共通語が毎日全国に降り注がれるほか、空路や鉄道、高速道路網等を使って、毎日何千万人もの人々が移動し接触しあっています。

そのため 母語であった地域方言は日ごとに失われ、代わって若い人の間に、中高年には理解できないような新しい社会方言が、日々増産されては程なく消えています。紀 州海民の活躍の足跡としての和歌山・千葉両県の共通方言も、程なく死語になって消える運命なのかもしれません。
   
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